死とは一体なんなのか

いきなり暗いイメージですまない
だが死とは何か気になることがよくある


生の反対でもある死
命宿るもの、遅かれ早かれ死は来たる
人間もまた然り


生の瞬間は誰もが喜びを分かち合う
が死はどうだろうか
誰もが忌み悲しむ


最大の謎は死後どうなるのか


我々がそれぞれ持ってる人格はその活動を永久に停止する
目覚めることの無い睡眠に入るのか   はたまた
違う生にバトンタッチするのか

真相は死んでみないと分からないのかもしれない
だがわざわざそんなこと試すわけも無い


私は時々、不思議な感覚に悩まされることがある


本当に自分は「自分」なのか ひょっとしたら違う「自分」が
自分を操ってるのではないか

例えばゲームで主人公を操作していたとする
何をするかはプレイヤーは自由に決めることができ、
その主人公と自分を一体化させる

つまり、我々の人生はゲームで我々を操っている者が別に
存在しているとしたら・・・!?

私は今こうしてブログを書いているわけだがそれも私の意志でなく
何か別の、特別な何かが私を操作しているのかもしれない。


なぜ私は私でなくてはならなかったのか


人間とは不思議な生き物である

己が欲望のためだけに生きる醜い生物でもある

しかし社会や秩序を作り、なんとか共存することに成功している



我々にはまだ未知なる物が数多く存在する
恐らく、その全てを知ることなく私は息絶えるだろう
いや、そのときに全てを理解するのかもしれない

生まれる前から死ぬ者
ある日突然死ぬ者
結婚を前日に控え死ぬ者
突発的な災害により、死んだことにすら気付かずに死ぬ者
長い人生を全うし、たくさんの孫や家族に見守られ、暖かく死んでいく者


人生は不平等である



「神は人の上に人を作らず 人の下に人を作らず」

      ↑ 馬鹿じゃねーの?


世の中そんなに生易しいものではない
脱落者が存在すれば成功者も存在する

確かにバランスは成り立っている


人生を生きるためにはある程度のコツがいる

そのコツをうまく利用してるものはうまく生きている

人はそれぞれ何を思いながら生きているのだろうか

私は他人のことまで深く考えたことは無い
自分のことで手一杯だからだ

他人がどーなろーが知ったこっちゃあない
所詮みんな自分が大事

しかしみんながみんなそれぞれの人生の主人公

他の人たちは脇役、あるいはこの人のためなら
私はこの人の脇役でもいいと思ってる人もいるのだろうか





まとまりのないただの愚痴のようになってしまったが
そもそも死について考えること事態が間違っているのかもしれない
難しすぎる




私は私の人生を全うするまで